最終出社日から2週間前。
ここはマレーシア、ワーケーション中の私は日中いつも通りに仕事をして、夜市の露店で雑なテーブルに座り、ちょうど5年前は就職活動で佳境を迎える時期だったな〜とふけっていました。

当時、エンジニアになるぞ〜と意気込んでいて、ミーハーな私はいわゆる世の中の”キラキラした会社”に憧れていました。
ただ、キラキラ系企業はどこもポートフォリオ提出が必須だったり、技術面接がありました。そんな成果物も技術力もなかった私は、会社探しに苦戦していました。
将来のことが不安でした。深夜徘徊をしながら「あーでもない」「こーでもない」とぶつぶつと自分のことを言葉にしてみては、それでも選考が進むわけではなくて、部屋の中をぐるぐる回りながら、最後は「幸せってなんだろうか?」「働くとはなんだ?」という、就活生にありがちな悩みを抱えていました。
一人で悩んでいてもしょうがなくて、就活エージェントで働いていた社会人の先輩に声をかけたのは僥倖でした。
先輩に漠然とした悩みを伝えた上で、良い会社の探し方を聞くと、じゃあこれを見れば良いじゃないということでTechnology Fast 50 Japanというランキングを出してくださいました。
先輩はランキングを指差し、「あっ、この会社は前職で取引があったんだけど、すごく良い会社だよ。トイレにセンサー設置して、人が入っている入ってないをわかるようにしてる変わった会社」という風に言われ、「なんだそのキラキラしていない会社は!」と思ったのが、今日卒業するサーバーワークスとの出会いでした。
深夜3時まで同期と話し込んだこと
新卒1年目のOJT期間が終わる頃、どんなキャリアを歩みたいかを意思表示する通称”配属面談”が組まれるのですが、いつも通り優柔不断な私は、いやこの部署が…あの部署が…みたいなことを前日まで考えていました。
仕事終わりの同期はいつもバーチャルオフィスで与太話をしていて、その日は配属面談でどんな話をするのかで持ちきりでした。というか主に私の相談に乗ってもらった気がします。
仕事終わりが19時ですが、その後3時までずっと話していました。 結果的にまあなるようになるか、ということで幕を閉じたのですが、改めて考えると長すぎます。
新卒1年目はそんな風にだらだらと同期と夜まで話していることがよくありました。 リモートで仕事しているはずなのに、そんなに顔を合わせていないはずなのに、だいぶラフになんでも話せる関係性の同期がいたことは、いざ卒業するタイミングで大切なことだったんだなと気づきました。
同期のみんなへ。とても優秀な同期でした。
飲み会に来ないで有名な私ですが、たまには古巣のことを聞きたくなると思うので、またどこかで会いましょう。誰かの門出の時はお祝いしましょう。あ、送別会も開いていただいてありがとうございます。先に伝えておきます。お世話になりました。
後輩の内定式で社長と握手したこと
2年目の秋、翌年入社される方の内定式で先輩社員を代表して挨拶をする役目を得ました。ルーレットでたまたま回ってきたお仕事でした。
時間にしておよそ5分の挨拶だと伝えられていましたが、たかが5分、されど5分だなと思い、内定式の二日前から本気の原稿作りを始めました。
「これはもう仕事じゃない…プライドとの戦いだ…!」
当日は気づいたら朝日が昇っている時間まで一言一句考えていました。
あまりに気合を入れて作ってしまったもんですから、当日内定式の会場での緊張はいいあらわせないほどでした。「目が泳いでいてどうなるかと思った…」と言われたことを覚えています。きっと会場の誰よりも緊張していたはずです。
ただ、あまりに気合を入れて作ってしまったもんですから、ありがたいことにウケました。
式後に社長の大石さんが私の元にやってきて、「これはよかった!」と握手を求められたことを覚えています。毎年内定式の時期になると全社朝会で「布施くんの話が…」と言ってもらっていました。
採用のタイミングでお世話になった人事の方からは「いや布施くん採用して心からよかったと思ったわ」と言われました。なんならその後でディズニーに誘われたりしました(なぜ)。
あとは初めましての方に「スピーチの方ですよね…?あれ良かったです!」と言っていただけることが多くて、寝ぼけ眼で朝日を感じながら床についたあの日は決して無駄じゃなかったです。
良いスピーチだねと褒めてくださった方、ありがとうございました。情動が煽られた良い経験でした。
市場価値を考えてくださった上司のこと
1年目の研修期間に上司となった方は、感情が表に出づらい、ビールが好きな理論派の方でした。
いつか一緒にお酒を飲んでいる時に話されたことをよく覚えています。それは「せっかく新卒でサーバーワークスを選んでくれたんだから、AWSのことちゃんとわかってもらって、辞めても転職市場で価値が高くなるように研修を考えるのがおれの役目」という内容でした。
2年目以降配属になった部署の上司は自転車のことばっかり考えてそうな1児の父でした。
いつかの1on1で話されたことをよく覚えています。それは「新しいプロジェクトがあるなら若手に入ってもらおうと思っている。ベテランよりも若手に技術的に新しいことをやった方が、これからのキャリアにとってプラスになると思うから」という内容でした。
卒業直前で異動した部署のボケが多い上長からも、つい先日、最後の1on1で「せっかくだから次の職場に行っても使えるような話をなんでも聞いてもらって良いですよ」と言われました。
世の中の会社なんて事業の存続が最優先で、人の成長には二の次だと思っていましたが、そうじゃないということも学びました。私もいつかマネジメントする時が来たら、そういう余裕や優しさを持っていたいなと思います。
ついに口に出すことはありませんでしたが、若手の成長を考えてくださった上長の皆様にとても感謝しています。ありがとうございました。
ユーザー目線を教えてくれた開発チームのこと
長いことエンジニアとしてCloud Automatorを作っていました。チーム内には歴の長いエンジニアが多く、学びの多い日々を過ごさせていただいたと思います。
CAチーム(Cloud Automatorの開発チームのこと)はかなりユーザーライクな開発をしているチームでした。特に設計周りであまり技術の話をせずに、いかにユーザーにとってそれが良いとされているのかを話すチームでした。
エンジニアあるあるで、「どうやったらそれを実現できるのか」を考えてしまいがちだと思います。けれど結局ユーザーがいるわけで。CAチームはその先にユーザーがいることをすごく教えてくれるチームでした。
CAチームだった皆さん。私のエンジニアとしての礎はみなさんのおかげで形成されたものです。多くの学びをありがとうございました。
宮古島に住んだこと
4年目の冬、元々住んでいた首都圏を飛び出して宮古島に2ヶ月だけ住みました。

なんで?とよく聞かれたのですが、そんなに理由はなくて、元々住んでいた物件の契約更新に合わせて引越しだけ決めていました。まーとりあえず海の綺麗なところに住もうかなぁと思い立ったが吉日、宮古への渡島を決めました。
冬の宮古はとても天気が悪くて、北風に煽られながらも思い出に残る出会いがあったり、充実した島ライフを過ごすことができました。

働きやすさを追求してサーバーワークスを作ってきてくださった先人たちへ。おかげで場所に縛られない豊かな人生を歩めました。ありがとうございました。マレーシアより。
5年前の私へ
5年前の私へ。将来のことが不安ですか?
深夜徘徊をしながらぶつぶつと消化した言葉は、面接で話す材料になったよ。部屋の中をぐるぐると回りながら考えた幸せの先は、最後に感謝をしたり、されたりしながら卒業していく素敵な場所だったよ。
あなたは世間が定義する”キラキラした会社”には入れない。
それでもあなたが選んだ会社は、"キラキラした人たちが働いている会社"でした。5年間で人数も売上も増えて、自分を取り巻く環境も仕事も変わって、トイレのセンサーも気づいたらなくなっているけど。安心して入ってきたら良い。たくさんの感謝をしながら卒業していくことになるよ。
5年後の私より。