視座はどうやって上がるのか ── 点が線になり、線がまた点になるのかも

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「視座が高い」ってよく聞くけど

仕事をしていると「視座を上げろ」「あの人は視座が高い」みたいな話、ちょいちょい出てきますよね。

言わんとしていることはなんとなく分かる。でも「じゃあ具体的にどうやったら上がるの?」と聞かれると、意外とうまく言語化できない。「経営者の気持ちで考えろ」とか言われても、それができたら苦労しないですよね。

で、お昼食べながらぼんやり考えてたら、ひとつ自分なりにしっくりくる捉え方が浮かんだので、書き残しておきます。

まず「点と線」の話

仕事をしていて、点と点が繋がって線になる瞬間ってありませんか。

たとえば、個別のタスクをこなしているうちに「あ、これとあの案件、根っこは同じ課題じゃん」と気づく。あるいは、別々に学んでいた技術が、あるプロジェクトで組み合わさって「こういうことか」と腹落ちする。上司に言われたことの意味が、半年後に全然違う場面で「ああ、あれってこういうことだったのか」と急に分かったりする。

この「点が線になる」瞬間って、けっこう気持ちいいんですよね。そして、線が見えるようになると動き方が変わる。先回りできるようになったり、判断のスピードが上がったりする。

で、ここで大事だなと思うのが、点を1個ずつ潰していくだけだと、どこかで頭打ちになるということ。課題Aをクリアして、課題Bをクリアして……と積み上げていっても、それだけだと伸びに限界がある。30点が31点、32点と増えていくけど、どこかで止まる。

本当にブレイクスルーが起きるのは、バラバラだった点が一気に繋がって線になる瞬間。個別の改善の積み重ねじゃなくて、「あ、全部繋がった」という感覚で、一気に視界が変わる。ここまでは、わりと多くの人が経験しているんじゃないかなと思います。

線が「点」に戻る瞬間

ここからが今日の本題です。

ある程度、自分の中で線が見えるようになったとします。仕事の流れが読めるようになって、いい動きができている実感がある。

でも、そこからさらに一歩引いて見てみると、自分が「線」だと思っていたもの、実はもっと大きな構造の中では「点」だったということに気づく瞬間がある。

たとえば、自分のチームの業務フローは完全に線として見えている。でも、事業全体から見たら、それはひとつの「点」でしかない。隣のチームの動きも「点」で、マーケットの動向も「点」で、それらが繋がって初めて事業としての「線」になる。

この感覚、伝わりますかね?

点→線→点→線のフラクタル構造

で、ここからが面白いなと思ったところなんですが、この構造って再帰的に繰り返されるんですよね。

  • 個別のタスク(点)が繋がって、業務の流れ(線)になる
  • 業務の流れ(線)を引いて見ると、チームの機能としての「点」になる
  • チームの機能(点)が繋がって、事業の動き(線)になる
  • 事業の動き(線)を引いて見ると、市場の中のひとつの「点」になる
  • ...

スケールが変わっても、同じ「点→線」の構造が現れる。フラクタルみたいだなと。

そして、視座が高い人って、このズームイン/ズームアウトを自在にやっている人なんじゃないかなと思ったんです。目の前のタスクの解像度を持ちながら、同時に「これは全体の中でどの点なのか」を見られる。行ったり来たりできる。

じゃあ視座はどうやったら上がるのか

ここまで考えて、じゃあ実際どうすればいいのか。自分なりに思ったことを書いてみます。

まずは目の前の点と点を繋げる

いきなり高い視座を持とうとしても、土台がないと空中戦になるだけですよね。まずは自分の担当領域で、点と点を繋げて線にすることに集中する。これが最初のステップだと思います。

そのためには、日々の経験を「点」として頭の中に保持し続ける力がけっこう重要な気がしていて。上司に言われたこと、失敗したこと、うまくいったこと。それを「終わったこと」として流すんじゃなくて、頭の片隅に置いておく。すぐには繋がらなくても、持ち続けていれば、ある日ふと別の点と繋がる。

逆にいうと、経験を片っ端から忘れていく人は、点が溜まらないから線にもならない。点を保持する脳のスタミナみたいなもの、大事ですよね。

あと、言葉の表面だけじゃなくて本質を掴もうとする力も必要だなと。同じフィードバックをもらっても「はい、直します」で終わる人と、「なぜそう言われたんだろう」と一段深く考える人では、点の質が全然違う。質のいい点は、他の点と繋がりやすい。

線ができたら、意識的に引いて見る

ある程度線が見えてきたら、「自分の線は、何の点なんだろう?」 と自分に問いかけてみる。

自分の仕事は、チーム全体の中でどういう位置づけなのか。チームの成果は、事業のどこに効いているのか。この問いを持つだけで、見え方がだいぶ変わる気がします。

上がったら、そこに住む

これはちょっと別の角度の話なんですが、視座が一段上がったとき、そこを新しいホームにする意識って大事なんじゃないかなと。

視座が上がる瞬間って、ちょっと居心地が悪いんですよね。今まで見えなかったものが見えるようになって、周りの景色が変わる。そうすると無意識に、前の慣れた視点に戻りたくなる。

でも、戻ったらそこで止まる。上がった先の景色に自分を慣らして、「ここが自分の場所だ」と自然に思えるようになること。それが、次の点→線のサイクルを回すための土台になるんじゃないですかね。

一段上の視点に触れる

自分だけでズームアウトするのは正直限界がある。だから、一段上のレイヤーで見ている人の話を聞く機会は大事だなと。1on1で上司の判断基準を聞いてみるとか、経営層の発信をちゃんと読むとか。

その人が見ている「線」を知ることで、自分の「線」が「点」であることに気づけるんじゃないですかね。

おわりに

視座って、一気にバーンと上がるものではなく、点→線を繰り返して、少しずつスケールが広がっていくものなのかなと思いました。

あと書いてて思ったのは、視座が上がるって「今まで見えていたものが見えなくなる」わけではなくて、ズームレベルのレパートリーが増えるということなのかもしれない。高い視座を持ちつつ、必要なときには現場の解像度に戻れる。それが本当に「視座が高い」状態なんじゃないかなと。

まあ、お昼食べながら考えたことなので、正解かどうかは分かりません。でも自分の中ではけっこうしっくりきています。

手嶋 凌一朗(執筆記事の一覧)

2023年入社